『進撃の巨人 ATTACK OF TITAN』

・大人気漫画の実写化に豪華なメンツが大集合

今回は『進撃の巨人 ATTACK OF TITAN』である。原作は諫山創氏のデビュー作となった世界累計発行部数五〇〇〇万部超えの大人気同名漫画で、監督は平成『ガメラ』三部作の特技監督で手腕を発揮した樋口真嗣氏が務め、特撮監督は尾上克郎氏、有限会社西村映造の代表取締役である西村喜廣氏が特撮造型プロデューサーとして参加し、音楽は『新世紀エヴァンゲリオン』でお馴染みの鷺巣詩朗氏であり、キャラクターデザインに漫画版『新世紀エヴァンゲリオン』を手がけるアニメーターの貞本義行氏も加わり、主役のエレンは三浦春馬氏が、ミカサは水原希子氏が演じ、主題歌はSEKAI NO OWARIが書き下ろし、脚本は実写版『GANTZ』や『20世紀少年』で悪名高い渡辺雄介氏と、映画野郎達の味方『映画秘宝』を創刊した映画評論家の町山智浩氏が担当している。

と、書くのも読むのも疲れる豪華なメンツが集合した本作は、その豪華さが仇となったのか、はたまた原作ファンから熱烈な顰蹙を買ったオリジナルキャラの登場、ストーリーの改変が凶と出たのか、マヌケなドラマパートと迫力満点の特撮パートが同居する珍妙な味わいの人食い特撮映画となっている。

珍妙さは往年の怪獣特撮映画にもあったが、感情移入できる怪獣と違って巨人は忌むべき存在、エレンの言う通り「駆逐」の対象だ。なもんで本作は、怪獣映画の魅力を持ちながら感情移入できる怪獣がおらず、ならば巨人に対するエレン達を応援しようと気持ちを切り替えるが肝心のドラマが「アチャー」で「トホホ」な出来。しかし、特撮パートはイイ。その結果、チグハグで珍妙な映画になり、「アチャー」顔の人や「トホホ」顔の人を量産させることになった。 

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・第一幕。サヨナラ日常、阿鼻叫喚の人間踊り食い

一〇〇年以上前、突然現われた巨人によって人類がモシャモシャ食われすぎたせいで世界は崩壊寸前、生き残った者達は巨大な壁を築いた。外側に設置された外乃壁の中には、農地や市場があり一般市民が暮らす。その中に建てられた中乃壁の中には富裕層が暮らす商業都市、さらにその中にある奥乃壁の中には役人が暮らす官公庁がある。以上の三重に築かれた壁の中で『進撃の巨人』の登場人物は暮らしている。

そこでは近代的な科学技術や知識や全ての本が禁止の法律「特定知識保護法」があるらしく、文明はすでに滅んでいた。壁の中にあるヘリコプターの残骸や不発弾は過去の遺物だ。

ともあれ、そんな世界で暮らすエレンやミカサ、アルミン(本郷奏多)の日常から物語は始まる。が、いきなり「トホホ」の原因にブチ当たる。率直に言うと、芝居の不味さ。樋口監督から『時計じかけのオレンジ』や『フルメタル・ジャケット』を観ておくように言われて役作りした(?)エレンの大袈裟な舞台芝居が悪い意味でフルスロットルしていて、すこぶる不味いのだ。しかもこの映画は九割がアフレコで、アルミンの気合い過多な発声も萎える。どれもこれも感情移入を意図的に拒むような不味さだ。

でも、ご安心を。すぐにサプライズがありますから。

エレン達が「一〇〇年以上巨人なんて見てないし、壁の外に行ってみよーぜ」と壁までフラフラ遊びに行くと、想定外な超大型巨人が登場するんです! うっひゃー、かっこいい! そいつが壁を破壊! そこから巨人達がゾロゾロ侵入! これがまた不気味で気持ち悪い! 逃げ惑う人達が丸呑みされたり、噛みちぎられたりの大残酷! どこまで噛んでイイか、どこまで血を出してイイか映倫と協議した末の地獄絵図! 町山智浩氏のアイディアでヒエロニムス・ボスピーテル・ブリューゲルの絵画を参考にしたと思われる不穏な滑稽さが渦巻きコワイコワイ!

などと取り乱してしまうぐらい、このパニック感は素晴らしい。企画が上がった時から残酷描写の表現が課題だったそうだが、余裕のK点超え。超大型巨人のデカさも充分に伝わるし、ゴヤの影響下にある通常サイズの巨人も撮影した俳優に特殊メイクやワーピングという技術で加工しているので奇妙な違和感が生まれている。ただ無邪気に好物を食べているような芝居も加わり、恐怖も倍増。巨人の中には井口昇監督もいて(しかも巨人を二役も!)、ラーメンドンブリの底に隠れていたナルトを発見したような嬉しさがある。

この至福の恐怖は、ミカサを失ったエレンが茫然自失で町を彷徨うシーンで終了し、

「まだ巨人がウロウロしてんじゃないの?」

「ヨロヨロしてないで逃げなよ!」

「巨人も空気読んで見て見ぬ振りしてんの?」

とツッコまれそうな演出が大きく目立って、話は二年後に飛ぶ。ここまで約三〇分。

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・二幕。苦痛のドラマパート 、その原因

 二年後。マッドサイエンティストのハンジ(石原さとみ)によって発明された立体機動装置のおかげで、人類は巨人に対抗できる術を持った。腰にその兵器を装着すれば、飛ばしたワイヤーによって自身が空中に巻き上げられ、巨人の弱点のウナジを斬りつけることが出来るのだ。発明とか法律で禁止されてなかったっけ? と思ったが「特定知識保護法」では、バイオディーゼルや木炭エンジン以上のテクノロジーを禁止しているので、一応オッケーなんだって。

ここから約三〇分は、この立体機動装置で武装した外壁再建団作業員が、壁の穴を塞ぎに行く出征が描かれる。穴のあいた壁の上部を爆破して下の穴を塞ぐ大雑把な修復作戦ではあるが、善は急げである。

外乃壁と中乃壁の間をウロウロしている巨人に故郷のモンゼンを破壊され愛しのミカサも失ったエレンと、巨人に親を殺されたアルミンは外壁再建団作業員に志願し入隊。加えてエリート家庭に育ったジャン(三浦貴大)、農村出身の食いしん坊サシャ(桜庭ななみ)、怪力な左門豊作ことサンナギ(松尾輸)、エロいシングルマザーのヒアナ(水崎綾女)、訓練所最強兵士のリル(武田梨奈)、リルの彼氏フクシ(渡部秀)、エレンの幼少期をよく知る人物で外壁再建団の救護班員ソウダ(ピエール瀧)も参加。

そんな作業員をまとめるのが、憲兵団で主管と呼ばれる政府の幹部クバル(國村隼)。このクバル、恰好から何から怪しさ満点だから目が離せない。

さあ、メンバーは揃った! いざ出発だ! 

となる前に、原作ファンは首を傾げるだろう。「サンナギ・リル・フクシ・クバルなんて原作にいないでしょ?」と。

賛否を呼んだ変更点その一。

それは日本人をキャスティングすることだった。

原作はドイツが舞台なのだが、日本人を配役するなら名前も変更しなくてはならず、イチバン人気のリヴァイなど「V」の発音が入った名前や、国籍が特定される名前は変更せざるを得なくなる。従って、後に登場するリヴァイの代打のオリジナルキャラはシキシマ(長谷川博己)となり、ライナーがサンナギになり、ハンナとフランツはリルとフクシになった。エレンやジャンやアルミンは〝キラキラネーム〟扱いで落ち着いた。

そして、日本人で撮るならば舞台も日本に変更される。

撮影の舞台は軍艦島に決まった。

キャスティングと撮影場所、どっちが先に決定したか不明だけど、廃墟のビルが建ち並ぶ軍艦島を荒廃した未来と設定した。町山氏は「地球上の各地で城壁都市があるとして、日本の城壁都市を舞台に全キャラ日本名でっていうのは、どう?」と提案したが、これはさすがに原作から離れ過ぎだと却下される。

オマケに、今度は原作者から「エレンをヘタレにしてくれ」と告げられる。曰く、原作のママだと感情移入が出来ないと。「原作者がそれを言っちゃお終いよ」と言いたいところだけど、エレンはヘタレに変化した。映画化に際し、この作者はかなり原作をデストロイしたかったようで「主人公、ジャンじゃダメ?」と言ったり「現代を舞台に巨人が出てくるってのはダメ?」と言ったりして、樋口監督や町山氏に止められることもあったようだ。(最初の監督候補だった中島哲也氏の構想は「現代を舞台に巨人が大暴れ」という代物だったらしいが、これが原作者の意図を酌んだものだったのか気になるところ)

そんなこんなの変更で脚本は三〇稿にも及んだ。

町山智浩が脚本を手掛けたんでしょ?」と世間では何となく思われている。確かに初稿を手掛けたのは町山氏。でも、打合せで意見をまとめてホンにしたのは渡辺氏らしい(だから台詞回しがダサいのか?)。打合せにおける町山氏は「ここのアクションどうしようかしらん?」って時に「あの映画の〇〇みたいにしよう」とアイディア出しをする立場だったと、本人は語っている。兎に角こうして改稿が進み、初稿から色んな要素が削られていった。リルの設定が訓練所最強となっているが全く本編と関係ないのは、初稿にあった訓練シーンが削られた残滓なのだろう。

っと、話が逸れた。何を言いたいかと申しますと、諸々の変更が上手くいってないと思ったのだ。そして、その影響が二幕でモロに出ちゃってる。

最強兵士のハズのリルはずっとフクシといちゃついて「こわ~い」とか言ってるし、エリートでプライドが高いはずのジャンは調子に乗ったヘタレにしか見えないし、コメディーリリーフのハンジは上滑りしていて酢豚のパイナップル並みに邪魔。

死んだと思われていたミカサを匿って女兵士&自分のスケに調教していたシキシマもオカシイ。ミカサに悩ましくリンゴを食べさせて微笑んだりする、その芝居の浮きっぷりはもはや空中浮遊の域だ。シキシマはミルトンの『失楽園』におけるサタンだろうと解釈される。そして、『ダークナイト』のジョーカーであり、『第三の男』のハリー・ライムである。その存在は、主人公と対をなすネガとポジ。後編で大活躍すると思うけど、前編では秘密のまま終わった最終兵器だった。

エレンもヘタレとなっているので、終始逃げまどうのみ。ヘタレ設定をいかすように町山氏から「ダンテの『神曲』にしよう」と案が出たが、ヘタレが地獄を巡っても観客は乗れない。しかも、シキシマとミカサがデキていたと知り、ワナワナ震えて、

「うぁー!」

と絶叫する童貞っぷりも披露。芝居がイマイチ分かってない樋口監督はアニメ的・記号的な演出に頼り過ぎ! 観てるコッチが恥ずかし過ぎて「うわぁー!」って叫びたいぐらいだから!

進撃の巨人』の登場人物で「コイツはオレ自身だ」と観客に思わせるキャラがいるだろうか。観客は登場人物の誰かを舟にして、物語の海を航海するのだ。舟(キャラ)が欠陥だらけだと溺れちゃうよ。この映画、キャラクター造形が最大の弱点だといえる。

とはいえ物語は進み、壁の穴に辿りつく前に巨人に囲まれてしまった外壁再建団作業員は大ピンチをむかえる! 「見張りを立てておく知恵はなかったのか」とのツッコミは一旦うっちゃって、エレンにエロ仕掛けの最中だったヒアナは丸のみされ、クバルも逃げちゃうし、フクシは胴体切断、爆薬を積んだ車で巨人に復讐をしかけたリルも爆死。トドメはアルミンを庇ったエレンが、腕と足を噛みちぎられた末に食べられてしまう。

 

・三幕。死と再生、巨人バトルロイヤル

お偉いさんに見放され、仲間も戦死、主人公も食われた。

絶望感はハンパない。冒頭に感じた恐怖の再来だ。

ところが、なんだかヌルいんだ、コレが。なんで? 何故なら巨人と仲間の数、その位置関係などが明確に示されていないからだと考えてみる。

「巨人は何体いるの?」

わからない。ミカサやシキシマが何体か倒しているが、永遠と出てくるのでハラハラが持続しない。ここは「残り〇体だ!」となった瞬間に別方向からまた大群が来ると絶望感もアップするのではなかろうか。

「外壁再建団作業員は結局、全員で何人なの?」

わからない。主要なキャラ以外がモブなので、もっと大勢死んでいるんだろうけど人数が減った気がしない。ここは初稿にあったように訓練シーンをキチンと方が見せた方が良かったのでは。訓練では統率されている部隊が、実戦に対応できずに続々と死んでいくと死の印象も変わるはず。

特に気になるのは、立体起動装置が都合よく使われ過ぎている点だ。漫画で許された曖昧さは、映画において許されないこともある。どこにワイヤーを飛ばして、どう動くのか。『スパイダーマン』みたいに軌道が分かるよう計算してくれたらなァ。

等々、気になりつつも、食われたエレンが巨人となって大復活してからは大いに満足! 『フランケンシュタインの怪物 サンダ対ガイラ』よろしく、殴る蹴る噛むの大暴れだ! 巨人エレンが巨人を一掃し、人間に戻ったところで前編は終わる。ソウダが巨人の秘密を知っていそうな素振りを見せたのは後編への引きなので、お見逃しなく。

 

・どうしたら観客をのせられるのか?

ラストの巨人エレンまでフラストレーションを溜めて溜めて爆発させる構成は、高倉健の任侠映画に例えられる。しかし、周りに迷惑をかけまいとして敵に対する鬱憤を溜めこんでいる健さんとは明らかに違う。ヘタレなエレンは、ただ逃げ回っていただけだ。ヘタレで想起されるのは、同じように現状から逃げ回っていた『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジだ。だけど、再映画化された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』のシンジには乗れた。

なぜエレンには乗れなかったのか。

シンジは『ヱヴァ〜』で初登場した惣流・アスカ・ラングレーと最初はいがみ合うも、使徒を倒すために力を合わせたシンクロ攻撃を繰り出し撃破に成功する。観ている方もココで気持ちが上がり、「意外と良いコンビじゃん」とか思ったりする。が、その後シンジが乗る初号機の手によってアスカを瀕死に追い込んでしまう。ここから終盤まで、シンジはひたすら現状から逃げまくる。しかし、更なる強敵によってピンチの綾波レイを助けるため、自ら立ち上がり戦いに臨む。ココ、重要。自己を省みず〝決断〟するのが主人公である。

エレンもアルミンを助けた結果、巨人になる。これも〝決断〟だ。が、決断にいたる過程がよろしくない。構成的には、エレンを含む作業員が立体機動装置を駆使して巨人を倒し、「自分達にも出来る!」と士気の上がるシーンを途中に入れた方が良かったのでは。そうすれば、ラストに訪れる地獄との落差が際立つ。その地獄に直面したエレンが過去のトラウマで逃げ出すも、「アルミンをミカサの二の舞にしない」と〝決断〟をして巨人に戦いを挑むも食われ、んで、巨人化。その方が話にうねりが生まれるし、一回観客をエレンという舟に乗せられるはず。ずーっと逃げてたのに最後だけ〝決断〟されても「都合イイなァ」って思いませんか? まあ、立体機動装置の扱いは、原作側から「最後まで取っておいた方がイイ」と言われてたらしいけどネ。

 

そんなこんなでツラツラ書いた。言いたい事はまだ沢山あるが(ご丁寧すぎる回想シーンはテンポを悪くするから本当にいらないとか)、個人的には製作陣の言い分に理解を示したいし、男女混成部隊の全貌を知るために『スターリングラード』や『スターシップ・トゥルーパーズ(過去に東宝が原作を映画化しようとしていた)』や富野由悠季氏の小説版『機動戦士ガンダム』を参考にしたとか、廃墟や地下のピアノはアンジェイ・ワイダの『地下水道』の影響だとか、映画通の琴線を揺さぶる裏話も楽しい。

でも、オマージュ云々も上手く機能していなければ意味がない。映画は観客に観てもらい初めて完成するものだ。観客に製作上の泣き言は通用しない。そんなもの、現実ではただの言い訳になってしまう。

この世界は、残酷だ。